追い求めた光、忘れ得ぬ輝き 田中恒成、引退表明





昨年10月、プメレレ・カフ戦での王座陥落以降、その動静があまり伝わることがなかった田中恒成が、引退を表明しました。
昨日、CBCにて会見したとのことです。こちらで一問一答が読めます。


記事にもある通り、カフ戦では目の不調が深刻だったとのこと。
試合後手術をしたが、両目の焦点が合わず、この状態ではリングに上がれない、という理由で決断したそうです。


あのカフ戦の闘いぶりも、今回の話を聞けば納得です。
自ら、不利な間合いに吸い込まれるようにして近づき、相手のパンチが一番伸びて、乗る間合いで打ち合い続けた姿は、異様なものでした。

さらに、カフ戦のみならず、もう数年くらい前から、症状自体は始まっていたのだろう、とも思いました。会見ではその辺も語られています。
井岡一翔戦で、先制打を決めたあと、離れずに止まって打ち返され、展開を悪くしていったのも、今にして思えば、と。
その後の再起路線でも、例えば石田匠戦では打ち合いに行かない展開を作ろうとしていて、でも間が空くと妙に据わりが悪かった。
思い当たる節は、いくらでもあるような気がします。
それでも圧勝したり、鮮やかな攻防を見せた試合もあって、それはやはり、田中恒成非凡なり、というしかありません。


何度か直に会場で見たのも含めて、彼の試合はデビュー戦から全試合を見ました。
東海、中部地方のボクシング史上、最高の逸材たる畑中清詞を上回る優れた才能を持ち、抜きん出て偉大な業績を残した選手だと、誰もが認めることでしょう。

しかし彼のキャリア全体を見渡すと、王者としての偉大とはまた別に、挑戦者としてのイメージ...いや、そういうボクシングにおける立ち位置を表す言葉とはまた別の表現こそ相応しいのでは、と思えてなりません。

畑中清詞の再現であるかのように、中部ナショナリズムの期待を一身に背負う形でのプロデビュー。
しかしながら、4戦目には早々に後楽園のリングに立ち、減量はすでにかなり厳しい状況であっただろうに、原隆二との国内ライバル対決に臨んで勝つ。
その上で、最短5戦目への世界タイトル獲得に至ったあたりに、エリートとしての厚遇を単に受け容れるだけでは気が済まない、という彼の意志、誇りを感じたものです。


それはライトフライ級に上げて2階級目の王座を獲得したのち、その栄光に目もくれず、という勢いで、時の最強挑戦者アンヘル・ティト・アコスタとの初防衛戦へと、自ら突進していく様を見て、確信に変わりました。

周辺は中部のスターとなることを期待している。単にそれを受け容れて、組まれる試合を闘って勝てばそれで良い...とは、彼は全く思っていないらしい。
もっと広い視野で「世界」を捉え、誰も彼もを納得させる、真に名誉あるチャンピオンにならなければ意味が無い。
現状に満足せず、常に、さらに一段上に立つ自分であらねばならない。
その様は、言えば王者だ挑戦者だ、という言葉をも飛び越えた「求道者」のものでした。

アンヘル・アコスタとの激闘、そしてフライ級に上げての木村翔との闘いは、単に勝つ、王座を護る、ないしは奪う、という以上のものを追い求めての闘いでした。
それは言えば、ボクサー田中恒成の青春そのものだったのだ、と改めて思います。
彼の優れた才能や能力以上に、闘いの先に結果や名誉のみならず、自らの心を満たす輝き...光を追っているかのような。
そんな田中恒成の心のありようが、私には、勝敗以前に、すでにして輝かしいものに映りました。
そして、その光に、輝きに、私は何度も目を奪われ、心惹かれてきました。


その後、スーパーフライ級に上げての最初の挑戦で完敗を喫し、再度の挑戦で戴冠するまでの一連のテストマッチにおける試行錯誤を経る過程で、今回明らかになった以外にも、様々に難しく、困難な状況があったのかもしれません。
いつかまた晴れやかな気持ちで、自らの誇りに見合う自分自身に辿り着き、輝かしい闘いに身を投じる田中恒成の姿を見たい、と願っていました。
例えばジェシー・ロドリゲスのような真の王者と相まみえることがあれば、その試合こそが、田中恒成が突き進んできた道の、究極の到達点になりうるのではないか、と。

その夢は、残念ながら、かなわず終わることになりました。
しかし、数々の試合において、田中恒成が放った輝きと、それを見た記憶は、かけがえのないものとして、消えることはありません。
長きに渡る闘いの日々。追い求めるものがあるボクサーの、青春の輝き。
それをつぶさに見られたことを、ファンのひとりとして、心から感謝したいと思います。