試行錯誤か欠陥か?疑問多き前半、立て直した後半 村田諒太、二戦目は最終回TKO勝利



実は私、デビュー戦がこういう試合になるかも、と思っていたのです。
それがああいう快勝で、そのせいで見えなかったもの、見ておかねばならなかったものが
この試合でかなり見えた、という感想でした。
今更ながら、自分の見る目のなさに嫌気がさしますが。


デイブ・ピーターソンは、一流選手とは言えないまでも、米国に数多、いや膨大な数がいる
この位の体格のボクサーの一員として、その選手層の厚さを体現するための、最低限の武器は持っていました。
大柄な体格、長いリーチ、そして最低限の攻撃技術と、意外なほど柔軟な身体を利した防御と耐久性。
これらが、プロ転向二戦目ながら、常に圧勝を期待される村田諒太の不足、欠落を、あれこれ炙り出しました。

まず、左ガードを高く掲げるのはいいが、左のパンチが出ない。種類が少ない。
今振り返れば、柴田明雄戦でもそうでした。左リードがあまり出ないし、
柴田が右サイドに出るのを、左フックで引っかけず、右ストレートで追う。
右で倒したダウンは強烈でしたが、総じて相手の右回りを右で追っかけていて、
あれはデビュー戦の緊張ゆえか、と見ていましたが、今回もまた同じでした。

そしてジャブを出さずに前進して、右ストレートの距離に入ったら右を打つ。
しかしピーターソンは、探りも測定も甘いダイレクトの右をまともには食ってくれず、
目で外したり、打たれても芯を外していたりで、決定打にならず。
逆に長いジャブや右クロスを食って、4回などはクリーンヒットにより、失点したように見えました。

村田って、こんなに闘い方の幅がない選手なのか?と、見ていて驚きました。
いくらプロ二戦目のルーキーとはいえ、27歳までアマチュアのリングで、
国際的なキャリアを重ね、その締め括りに五輪金を獲得し、プロ転向後も
大手ジムのバックアップを受けて米国でトレーニングをしてきた選手が、
ジャブも出さずに右ばかり打ち、ミスして前にのめり、返しの左でバランスを戻すことも出来ない。
身体の軸が前の左足に定まってしまっていて、右から左へは身体が回るが、左から右に戻らない。

「村田、どこか悪いんですかね」「肩、腰、それとも拳?」「いや、熱が39度あるのでは」とか
同道した方々と語り合いながら試合を見ていました。どう見ても不思議でした。

まさか、これが現状の、村田諒太本来の姿だというのか。
それとも、何らかの意図があっての試行錯誤の一環が、この理に適わぬ、無理と無駄だらけの闘い方なのか。

そんなことばかり思っていた5回、急に左ジャブの数が増えました。あれ?という感じでした。
左が立て続けに決まり、当然、後続の右も、それまでよりピーターソンの急所を鋭く狙うようになります。
それでも柔軟な動きでかろうじて外し、生き延びていたピーターソンですが、
村田は左の返しが上にも決まるようになり、連打の頻度も目に見えて増え、
最終8回、村田の攻撃をかわしきれずに打たれ、ストップ。村田のTKO勝ちでした。


試合前半に出来ていなかったことを、後半に修正して、最後ストップに持ち込んで勝った、
これはある意味、さすがは村田、と称えたい気持ちです。
ボクシングの試合とは、その最中に、がらりと流れを変えられるほど、甘いものではないでしょうから。

しかし試合全体を通じて、デビュー戦では見えなかった問題点も、上記の通り、あれこれ見えたような気がしました。
左を多く出して、距離を維持し、相手を止めて、リズムをとって、というボクシングを作っていかないと、
攻撃の効果を「当て」にして、高いガード、ブロックにのみ依存した防御では、これから相手のレベルが上がっていくにつれて、
今回以上に、簡単に打たれることになるでしょうし、当然、勝ち続けることも難しいと思います。


デビュー戦での快勝は、考えてみればプロのボクシング...ヘッドギア無し、グローブも違い、ラウンド数も違い、
試合の組まれ方も日程も、何もかも違う世界において、村田諒太がいかに数多くの変化に適応し、
多くのことを学ばねばならない、という過酷な現実を、一時的にせよ覆い隠してしまっていたのかも知れません。

試合後の一部報道に、海外のプロモーターがどんどん厳しい試合を組もうとする、というような記事があって、
それに抗うことが出来るかどうか、という国内有力者のコメントが出ていましたが、
むしろ海外のプロモーターの方が、デビュー戦でタイトル保持者、二戦目で13勝1敗の相手と闘わせるマッチメイクを
「急ぎすぎ」と評するのではないか、と思っていたので、奇異な感じがしました。

最近はワシル・ロマチェンコのような極端な例もありますが(本当にサリドとやるんですかね?)、
基本的には、いかにメダリストであろうと、最低20戦はやるべきでしょうし、
村田の年齢を考えても、よほどうまくいって12~15戦、というのがギリギリの線だ、と思っていました。

しかしこの二戦目を見て、それでもまだ甘い、と思いました。
やはり世界の、しかもメインストリームの中量級において、世界を目指すならば、
それこそもっと弱い相手でもいいから、どんどん試合数をこなして、ボクサーとしての強化、高度化以前に
プロへの適応、対応をまず果たさなければ、その先はないのでは、と。

まあ、試合数どうこう、という話以前に、村田が歩む道は、思う以上に厳しいものなのかもしれない、と
今更何を、と言われるかもしれませんが、改めて思い知らされたような試合でした。
そして、そういう試合が、キャリアの早いうちにあったことが、これから先の村田にとって、
どういう意味を持ってくるのか、ということを、早く知りたい気がします。

この試合から得た課題を、我々が思う以上に、高いレベルで消化し、今後の成長、進化につなげる、
そんな村田諒太の姿を見られれば、何よりの幸いなのですが。