スーパーフライ、大混戦のお馴染み階級



さて、日本のタイトルホルダーが多いゾーン、その最たるクラスのひとつですが。
スーパーフライ級、マガジンによるエントリー、一回戦は以下の通り。


カオサイ・ギャラクシーvsシーサケット・ソールンビサイ
徳山昌守vsジョニー・タピア
渡辺二郎vs川島郭志
ジェリー・ペニャロサvsヒルベルト・ローマン



タイの「豪打者」という感じのサウスポー、カオサイ・ギャラクシー
筋骨隆々の体格で、重くて速いパンチを打ちながら、ぐいぐい攻め込む様は、異様な迫力がありました。
王座初期に、キュラソーに遠征して、イスラエル・コントレラスと闘った以外、ほぼアジア地域での活動でした。

その頃は「打たれたら脆い」という評もあり、実際、無冠時代に、実質的なKO負けだったものを、ロングカウントで救われたことがあったそうです。
王者時代も、中にはダウン食ったり、苦戦もありましたが、大半は一方的に打って勝つ、という試合でした。

当日計量時代の最後の方の王者でしたが、減量は相当きつそうに見えました。
双子の兄カオコーが代わりに秤に乗り、カオサイが試合してたなんて噂もあったくらいですが、真偽の程は不明です。
確かによう似てましたけども。来日したときの公開練習で、並んで縄跳びしてましたが、全く見分けが付きませんでした。

とりあえず、19度防衛のうち、獲得試合と15度目までのハイライト。

内訳は、エウセビオ・エスピナル(WBA1位、渡辺陣営が怖れて避けた?と言われる強豪)、李東春(後のグレート金山)、ラファエル・オロノ(強打の元王者)、エドガー・モンセラット(後に文成吉にも挑戦)、イスラエル・コントレラス(後のWBO、WBAバンタム級王者)、エリー・ピカル(IBF王者)、鄭炳寛(OPBF王者)、コントラニー・パヤカルン(1位、サーマートの弟)、崔昌鎬(元IBFフライ級王者)、張太日(元IBF、OPBF王者)、松村謙二(元OPBFフライ級王者)、アルベルト・カストロ(1位)、松村謙二、アリ・ブランカ中島俊一(日本王者)、金容江(元WBCフライ級王者)です。






パンチ力と「倒し慣れ」の度合いでいえば、間違いなくこのクラスでは最高の王者でしょう。
強打を元手に、ではあったとしても、捌いたりいなしたり、パンチの角度を変えて当てたりと、変化を付ける闘い方も出来て、そこそこ巧いところもありました。
ただ、同時代にいた、世界一流の技巧派、渡辺やローマンと当たったらどうだったかは不明ですし、コントレラス戦を唯一の例外として、本当に手強い相手と闘うときは、必ずタイで闘っていたりする部分で、ちょっと「割引き」が必要なのかもしれません。

最後は19度防衛を「花道」に引退。鬼塚勝也の挑戦はありませんでした。




対するは、ローマン・ゴンサレスに連勝した星が光る、これまたタイの左強打者、シーサケット・ソールンビサイ。
カオサイと違い、アメリカのリングで名を上げた選手。タイでは珍しいパターンです。
しかしエストラーダに敗れたのち、キャリアが停滞しているところ、やはりすんなりとはいかないものですね。

国際式デビュー戦で八重樫東に黒星、初戴冠は佐藤洋太相手に勝利と、日本にも縁がありますが、アメリカで「売れた」選手となった今、立場は劇的に変わっていて、なかなか誰かと対戦、ともいかないでしょうね。
まあ、それがなくともパンチがある選手、敬遠するのが常でしょう...やれやれ。

最近の選手なんで、動画はとりあえずロマゴン再戦を。
HBOにこういう取り上げられ方をしたということが、何よりわかりやすい「勝者」の証です。






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続いて、長谷川穂積台頭までの間、日本で世界相手に勝つのは結局この人だけなんか、という時期もあった技巧派、徳山昌守
若手の頃は、巧いがスタミナが無い、という定評があり、二度にわたるスズキ・カバト挑戦も、1分1敗で終え、日本タイトル獲得ならず。
しかし井岡弘樹にTKO勝ち、OPBF王座獲得などで浮上し、韓国の曺仁柱からWBC王座奪取。技巧派王者として長期政権を築きました。

王座奪取の試合は、府立で観戦しました。場内、一種異様な雰囲気でした。
果敢な先制攻撃が功を奏し、その後も食い下がる王者を突き放し、見事な勝利でした。
しかし、その後は実績に見合う支持を得られたとはいえず、王座返上後、バンタム級での世界挑戦(=長谷川穂積挑戦)の望みがかなわないまま引退という、残念なキャリアの幕引きでした。

この辺、日本ボクシング界の卑小さ故に泣きを見た、という感じがして、気の毒に思いました。
しかしその技巧は、当時のスーパーフライ、バンタムの、どの王者をも制しうるものだったのではないか、と思っています。


動画はまたしてもこちら。助かります。






対するは90年代、米大陸で世界スーパーフライ級王者といえばこの人だったのでしょう。“Mi Vida Loca” ジョニー・タピアです。
WBO王座獲得戦は、WOWOWではなくNHKのBSで見たような記憶あり。

同郷のライバル、ダニー・ロメロとIBF、WBOの統一戦をやった頃、日本ではWBA鬼塚勝也、WBC川島郭志が王座にあったと記憶していますが、あちらでは誰も、こちらのふたりのことは気にも懸けていないんだろうなあ、と残念に思ったものです。
こちらでは、この二人を対戦させようという意志が、誰にもないということはわかりきっていましたし。

それはさておき、壮絶な半生と、様々なトラブルを抱え、きついキャラクターで売っている反面、ボクシング自体はラフに見せかけといてクレバーやなあ、という印象でした。
実は冷静で、自分の限界を弁えていて、やるべきことを間違えない、という風に見えました。そりゃ、計算じゃない部分もあったんでしょうが。





ロメロとの王座統一戦。後にバレラやポーリー・アヤラとも闘いましたが、キャリア最大の試合はこれだったかもしれません。
少なくとも、この勝利なくば、その後はなかったでしょうから。
私は単純に、見栄えが良くてパンチのあるロメロが勝つと思ってましたが、終わってみれば、タピアの奥深さを見た、という一戦でした。
色々やってますが(笑)ハッタリが目に付く陰で、きちんと外す、と心がけているのも事実ですね。



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さて、こちらは引退後の行状により、こういう場で語るべきではない対象だ、という意見もありましょう。
海外のハイライト集で “The Yakuza” というタイトルをつけた動画もありましたが(嘆)。
いや、ほんとにあったんですよ。なんか、カッコいい言葉だと思われてるんかな、と...困ったもので。

しかしここでは現役時代のことだけを。
「浪速のチャンピオン」といえば、そもそもこの人が最初です。黒帯のカマチョ、渡辺二郎

80年代、低迷期にあり、精神主義の名残だけでは世界の技術的進歩、体力強化、採点基準の変化などに取り残される、という現実の前に苦しんでいた日本のボクシング界において、そのクールな情緒、価値観を闘いぶりにも反映させたチャンピオン、渡辺二郎の存在は、非常に大きなものでした。

「ボクシングにドラマはないんですわ」
「15回戦なんやから、最低、奇数のラウンド全部抑えたら勝ちやないですか」

こういう言葉通りの闘いぶり。
時に接戦と見える試合で、セコンド陣が攻めろと促しても、自分でポイントを読んで自重し、その読み通りに判定で勝つ、ということが何度もあったといいます。

その反面、初防衛のグスタボ・バリャス戦など典型ですが「いざとなったら、ド突き合い」に出て勝利する勝負根性も併せ持っていました。
引退後のインタビューでは「デビュー戦のときから、仮に世界チャンピオンが相手でも、道で喧嘩になったら負けへん、と思っていた」と語っていたくらいで、冷静な反面、無茶な、というか、大袈裟に言えば凶暴な面もあったようです。

ある意味、ボクシングという、優勝劣敗の掟に支配された、酷薄無情の闘いに、一番向いた精神構造の持ち主だったのかも知れません。

動画、ハイライトから。横幅がアレだったので、業を煮やして直しました。近々消すかもしれません。
単純に、速い巧い強い賢い、という感じです。ようできた選手やな、と。





初防衛戦、元王者の強豪、グスタボ・バリャス戦。
当時、空調設備が貧弱で、客席のあちこちに氷柱が置いてあったという、猛暑の府立体育館で、消耗戦の末のラッシュ、TKO。
渡辺の勝負強さが出た一戦。





パヤオ・プーンタラットとの再戦。5回、鮮やかな右フックカウンターから。
本人が「ハグラーのパターン」と言った、左で釣っておいての右フック。
初戦で大苦戦した難敵、パヤオを沈めた、渡辺の生涯ベストパンチのひとつ。





ただ、このあと、仕留めるのに11回までかけるのも「らしい」ところ。
セコンド陣に「行け」と言われても「相手の身体の生き死には、やっている自分が一番よくわかる」と言って、聞かなかったそうです。



防衛回数で具志堅を抜くより、違った名誉を求めて、王座統一の次に、日本初の海外防衛を目指した渡辺の、韓国での防衛戦。
本来は張太日という、長身の強豪サウスポー(後にカオサイに挑みKO負け)が相手だったのが、変更になったという試合。
実況久保田光彦、解説ジョー小泉。ええコンビです。好きでした。
長く渡辺陣営の一員だったジョーさんの解説は色々と「濃い」です。







90年代「平成三羽烏」のうちの一人だったのは、そもそもこの人でした。
インターハイで渡久地隆人(ピューマ渡久地)、鬼塚隆(鬼塚勝也)を破った四国出身のサウスポー、川島郭志です。

新人王戦で渡久地に敗れ、その後もKO負けや拳の負傷などがあり、エリートコースから脱落し、このまま消えるのかと思われた時期を乗り越え、復活。
右リードを磨き、足から外すボクシングを作り直して再浮上。日本タイトル獲得後、あっという間に国内敵無し状態となり、世界奪取。
防御だけでも魅せる、そのボクシングは、遡って例えるのは妙ながら、今から見れば「和製ロマチェンコ」という感じもするほど。

またもありがたいことに、こちらのハイライト。
個人的には、松村謙二(謙一)戦が印象的です。
このとき、久々に見たんですが、ブランク前と比べ、あまりの変わりよう、出来の良さに驚愕したのを覚えています。
すでに世界王座を獲得していた、同世代の辰吉や鬼塚の上を行っている。こんなに良い選手だったのか、と。






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さて、徳山昌守に二度敗れるも、その後も米大陸のリングで強いところを見せるなど「ホンモノ」だったと言っていい実力派のサウスポー、ジェリー・ペニャロサ
川島郭志に勝利しての戴冠は衝撃でした。ホンマ強いな、という印象でした。
その後、フットワーカーに苦戦する試合がありましたが、まともにやり合う試合では変わらず強かったですね。
ジョニー・ゴンサレスを倒した星も大きかったと思います。

川島戦、徳山戦のハイライトは、それぞれの動画にありますんで、こちらは冒頭から、ジョニゴン戦の様子が見られるハイライト。





パンチがコンパクトで強く、防御も堅いんで、正対して、ヒット&カバーの応酬をすると本当に強かったですね。



対するはメキシコの技巧派、日本にもお馴染み、ヒルベルト・ローマン。
西岡利晃が少年時代、一番のお手本にしていた、と聞いたことがありますが、確かに良いときは、質の高い技巧を見せる、一級品のボクサーでした。

若手時代は、メキシコ国内の技能賞にあたる「ミゲル・カント賞」の常連だったといいます。
日本で渡辺二郎に挑み判定勝ち。試合前から渡辺危機説が語られていて、その通りの結果になりました。

しかし、こちらが勝手に抱いたクレバーで技巧派のイメージと違い、私生活が乱れるのも早かったそうで、その面では悪評が立っていました。

とはいえ、アルゼンチン、タイ、フランス、日本などで勝ち続けている。
一度王座を失った相手も、元フライ級王者のサントス・ラシアルでしたし、倒されたわけではなく、切ったせいでした。
王座はシュガー・ロハスからすぐ奪回して、日本で内田好之、畑中清詞に連勝しましたし。
一体何が問題なんだろうと、当時は思いました。というか、問題あってくれたら良かったのに、と。

しかし、ガーナのナナ・コナドゥに、5度ダウンを喫して判定負け。
試合の様子は当時、すぐにリング・ジャパンのビデオで見ましたが、打ち込まれた、という反面、途中で集中が切れてしもうとるな、とも思いました。
ダウンもダメージ甚大、というのではない時があり、でも、体育座りみたいな格好で「あーあ、やってもうた」みたいな顔。
悪評を全部信じるわけではないですが、ああ、この辺かなあ...と。

ある意味、レベル高すぎる人が辿る運命を辿った、という一人なのかもなあ、と思います。
動画はハイライト。これも横幅直しました。近々消すかもしれません。

足捌きに無駄が無いし、当てるの巧いし、良い選手なんですけどね...。






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対戦したら、ですが、カオサイとシーサケットのタイ国新旧対決は、打ち合いになって、カオサイがパンチの「貫通力」でまさるか。

徳山、タピアは、意外に技巧に優れているタピアとの読み合い、外し合いになるが、距離を外す巧さで上回る徳山が振り切って辛勝。

渡辺、川島は、巧いが正直な川島が出て、渡辺が捌き、競ったポイントを拾えるのは渡辺の方か。

ペニャロサ、ローマンは、追い足に唯一の難点ありなペニャロサを、ローマンがかろうじてかわし、振り切る。ローマン。


準決勝、カオサイが圧力かけて、徳山が捌く。カオサイが一度は強打を決めるが、徳山が粘って反撃し、逃げ切る。徳山。
渡辺、ローマンは、全盛期の比較という切り方で見ても、実際の試合と違うと言えるかどうか、微妙。ローマンか。

決勝、徳山とローマンが互いに見合うが、距離の差で、競ったポイントを徳山が抑える。徳山。


一応、こういう風になりましたが...カオサイがタイで闘ったときの強さは「色々」あったからだ、という部分を割り引くべきか迷ったり、ローマンは良いときから傷という泣き所があったり、渡辺は最後、衰えて負けたわけでもなく、気が入っていなかっただけのような気がしたり、徳山は距離感では最高、脆そうに見えるがペニャロサ戦では劣勢からボディ攻撃で盛り返したこともあり...駄目ですね、細かく見た選手が多いと、迷ってしまってどうにもなりません。

日本人のタイトルホルダーも多い階級ですが、選出としては妥当か。ノブオ選手もここに入ってほしかった。