若き才能、歴戦の王者を制す 拳四朗6連勝で日本王者に 堀川は引退へ
昨日は京都、大山崎町立体育館にて観戦してきました。
先日、大森将平の衝撃的な敗戦があったばかりですが、この日は京都のジム所属選手同士による
日本タイトルマッチという、たぶん史上初の試合が実現しました。
長きに渡り数多くの強敵と闘い、惜しくも苦杯を舐め続けながら、ついにチャンピオンの座に就いた
歴戦の勇士、堀川謙一に挑むは、寺地永を父に持つ若き俊才、寺地「拳四朗」。
何もかもが対象的な、絵に描いたような新旧対決の構図でしたが、試合前の予想としては
「6戦目で挑むには、堀川は手強すぎる相手ではないか」と思っていました。
拳四朗は確かにセンスがあり、良いリズムがあり、攻防一体の良いスタイルを持っているが、
まだ不安定な面もあり、その隙を突いて、切り込んでいく力が堀川には充分あるのでは、と。
試合展開は昨日、速報というか経過のみになってしまいましたが、こちらに記した通りです。
私の採点は96-94、拳四朗でした。もちろん、迷う回もありましたが。
公式採点と比べると、少し堀川の攻勢を高く評価した採点になっています。
しかし公式採点に異議はありません。前半終了時、拳四朗フルマークの採点には少し疑問ですが、
概ね、納得のいく数字だと思います。
全体的に見て、拳四朗が自分のリズムで試合を制し、果敢に切り込んだ堀川を捉え、迎え撃ち、
そこから得た好機には正確な追撃を加えて打ち込む、という流れで、拳四朗のクリアな勝利だったと見ます。
立ち上がりから、左ジャブのヒットはほぼ拳四朗。堀川の左は、ボディにはヒットするが、
顔面をジャブやフックが捉えた回数は少なく、空いた「間」には、高い頻度で拳四朗のジャブが差し込まれる。
これが採点上、高く評価された面があったでしょう。
中盤以降、堀川がより強く押して出て、接近戦、さらにいうなら密着戦の割合も増えますが、
そこでも拳四朗はアッパーカットによる迎え撃ちで、堀川の攻撃をある程度までに食い止めます。
さらに7回、右カウンターから左フック、そこからコンビネーションを繰り出して堀川を後退させ、
ロープ際に追って打ち込む。
終盤、堀川がなかば捨て身で迫ってくる展開でも、時に足を使って捌き、時に打ち合いに応じ、
大崩れはせず、大過なく試合を終わらせました。
拳四朗のボクシングは、高い精度で的を捉えるジャブ、良い距離を保つフットワークに加え、
迎え打ちのアッパーやボディ攻撃、そして右のカウンター、さらに好機の追撃に威力が増していて、
元々あった繊細な攻防、リズミカルな動きがさらに生きていました。
前の試合よりも、着実な成長の跡がはっきり見えたように思います。
好選手としてアマチュア時代から評価が高く、良い素養を沢山持った選手ではありましたが、
一戦毎に目に見えて伸びています。
昨日の試合では、「今はそういう時期だから」と言うだけでは収まらないものを見せられた。
そんな風にも思う、鮮やかな新旧交代、戴冠劇でした。拍手を送り、今後のさらなる飛躍に期待します。
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敗れた堀川謙一は、試合前から報じられた進退への決意が、試合前の様子からも見てとれました。
花道をゆっくり歩み、赤コーナーのリングエプロンに立った堀川は、なかなかロープをくぐらずに
何度もストレッチを繰り返し、花道の応援団に視線を送り、それからリングに入りました。
まるで、自分にとり最後となるかもしれないリングの感触を、じっくりと確かめているように見えました。
花道を、ステップを、キャンバスを踏みしめる足の感触。汗と血の臭い。人々の声。リング上に浴びせられる光。
今、彼はそれをどのように感じているのだろうか。その世界はどんな絵として、音として、記憶に刻まれるのだろうか。
彼の姿を見ていると、そんな風に、試合以外のことをしみじみと思ってしまいました。
その闘いぶりは、実直かつ果敢な、いかにも堀川謙一らしいものでした。
歴戦の経験、辛酸を乗り越えて頂点に立った男は、若くて戦績の浅い、しかし抜群のセンスを十全に生かす確かさを持った
若き挑戦者の技巧の前に及ばず、王座を失いましたが、その姿は堂々たる王者のものでした。
敗れてなお、若き才能に容易い勝利を与えはしなかった、誇らしい闘いでした。
見終えて、とても味わい深く、濃密な、良い試合だった、と思います。
出来れば、少しでも多くの目に触れて欲しい試合だった、とも。
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ところで、年末興行ラッシュといえば世界戦のみならずの今年ですが、かねてから
「何でこんなことに」と言いたくなる日程数あれど、昨日、12月27日はまさしく狂気の一日でした。
何せ関西では、京都大山崎、大阪阿倍野、兵庫は三田。最初は同日三興行!と驚いていたら、
阿倍野が二部興行だと後に知り、なんと四興行だったという...。
私はこれを勝手に「関西ルナティック27」と称しておりましたが、本当にどうかしてます。
何のために協会があるんだろうか、という。「協会」じゃなくて「狂会」と書くんかいな、と。
昔、サッカーだったかラグビーだったかがマイナースポーツだったころ、そのように自称した
好事家の集まりがあったそうですが、そういう微笑ましい話とも違うでしょうしね。
審判員は当然人数が足りなかったようで、私が昨日行った京都の会場では、
第一試合の四回戦から、お馴染みの福地勇治レフェリーが登場しました。
また、会場では関東から観戦に訪れた方ともお会いできました。
中には、阿倍野の一部興行を見てから駆けつけた、という豪の者、というかお方まで。
皆様、お疲れ様でした。